著書 | NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か |
著者 | 海老坂 武 |
カテゴリー | 人文・思想 > 哲学・思想 |
出版社 | NHK出版 |
発売日 | 2020/3/25 |
Amazonカスタマーレビュー | (195) |
- 戦後の哲学や歴史に興味がある人におすすめです。理由は、サルトルの「実存主義はヒューマニズムである」が、戦後の解放感と不安が交錯する時代背景を深く掘り下げ、その中での個々人の生き方の重要性を説いているからです。
- 人間の自由と責任について考えたい人におすすめです。理由は、サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という思想が、自分自身で価値を決定し、行動を正当化する重い責任を伴う自由を探求しているからです。
- 社会的責任や他者との関係について深く考えたい人におすすめです。理由は、サルトルのアンガジュマン思想が、他者の存在を自己の存在条件として認識し、相互依存の中での自由を強調しているからです。
解放と不安の交錯、サルトルの実存主義
- サルトルの「実存主義はヒューマニズムである」は、戦後の解放感と不安が交錯する時代において、個々人が主体的に生きることの重要性を説きました。
- パリの若者たちは、戦後の混乱と社会の不条理に対する不信感を抱えながら、サルトルの実存主義に共鳴し、彼の思想に影響を受けていました。
- 「実存は本質に先立つ」というサルトルの定式は、人間が自らの本質を後から作り上げる存在であることを強調し、新たな視点を提供しました。
サルトルの「実存主義はヒューマニズムである」という講演が行われた1945年は、戦争が終結し、フランスが解放された年でした。しかし、解放感と同時に、戦争の爪痕と将来への不安が交錯する時代でもありました。ナチスの強制収容所や広島・長崎の原爆による惨禍が明るみに出る中で、人々は戦争の現実と向き合いながら、新たな希望を見出そうと模索していました。
戦後の混乱期に、パリのセーヌ左岸では一部の若者たちが「実存主義者」として集まり、サルトルの思想に共鳴していました。彼らは無為徒食の日々を送りながらも、社会の不条理や大人たちへの不信感を抱えていました。この時代の若者たちの姿は、サルトルの哲学と密接に結びついており、彼自身もその中心人物として影響力を持っていました。
サルトルの講演「実存主義はヒューマニズムである」では、「実存は本質に先立つ」という定式を提示し、人間が自らの本質を後から作り上げる存在であることを強調しました。この思想は、戦後の不安定な時代において、個々人が主体的に生きることの重要性を説くものであり、多くの人々に新たな視点を提供しました。サルトルの哲学は、その後の思想界に大きな影響を与え続けました。
戦後の夜明け、自由と不安の狭間で、サルトルの声は響く。「実存は本質に先立つ」と。パリの若者たちは黒衣をまとい、混沌の中で己を探す。自由の刑に処せられた魂が、未来を投企する瞬間。
人間の自由、サルトルの「自由の刑」
- サルトルは、人間が自分自身で価値を決定し、行動を正当化する自由と責任を持つことを説きました。
- 『嘔吐』の中で描かれる自由は、生きる理由を見失った後の孤独で厳しいものです。
- サルトルの「負けるが勝ち」という発想は、失敗を通じて新たな価値を創造する力強いメッセージを含んでいます。
ジャン゠ポール・サルトルの実存主義は、「人間は自由の刑に処せられている」という独特の視点を提供します。人間は神や他者によってではなく、自分自身によって価値を決定する自由と責任を持つとサルトルは説きます。この自由は、どのような行動も自分で正当化しなければならないという重い責任を伴うものです。
サルトルの「自由」は、消極的な自由として『嘔吐』の中でも表現されています。主人公ロカンタンが直面する自由は、生きる理由を見失い、試みが失敗に終わった後の孤独な自由です。これは、神も道徳も存在しない世界で、どのように生きるかを自分で決めなければならないという厳しい現実を反映しています。
最後に、サルトルは「負けるが勝ち」という哲学的発想を強調します。勝つことよりも負けることを通じて自己を見つけ出すという考え方は、彼の実存主義における自由と責任の厳しさを象徴しています。この発想は、人生の挑戦や失敗を通じて新たな価値を創造する力強いメッセージを含んでいます。
自由の刑に処せられし我ら、価値を自ら決める責任を背負う。神なき世界で孤独に立ち、生きる理由を失いし日々。負けるが勝ちと知りつつも、試みの中で新たな価値を見出す。サルトルの声が響く、我らの存在を問い続けて。
アンガジュマンと実存主義の関係
- アンガジュマンはサルトルの実存主義に密接に結びついており、自分を巻き込むことを意味する広い概念です。
- 他者の存在を自己の存在条件として認識し、人間の自由は相互依存の中で成立するというサルトルの視点が強調されています。
- 戦争体験を通じて、サルトルは他者との絆や社会的責任の重要性を学び、これが彼のアンガジュマン思想の形成に大きな影響を与えました。
アンガジュマンはサルトルの実存主義と密接に結びついています。「拘束する、巻き込む」という意味を持ち、自分を巻き込むことを意味するこの概念は、サルトルの哲学における他者との関係を考える上で重要です。アンガジュマンは、個人的な行動から社会全体に影響を与える政治的参加までを含む広い概念です。
サルトルは、他者の存在を自己の存在条件として発見することが重要であると述べています。彼は、「自由」は他者の自由に依拠していると考え、人間の自由は相互依存の中で成立すると主張しています。サルトルの自由の概念は、個人の主体性と他者との関係を統合する視点を提供しています。
サルトルの戦争体験は彼のアンガジュマン思想の形成に大きな影響を与えました。戦時中の捕虜生活やレジスタンス活動を通じて、彼は他者との絆や社会的責任の重要性を学びました。戦争後、サルトルは政治的行動と文学を通じて、他者との連帯や自由の実践を追求し続けました。
自由の風に吹かれながら、他者のまなざしを受け、私たちは繋がる。巻き込まれ、拘束され、共に歩むその道は、責任と選択の交差点。戦争の影を越え、連帯の光を求めて。
サルトルとアンガジュマン、時代に巻き込まれる作家の責任
- サルトルは、作家が時代の一部として責任を持ち、積極的に立場を示すことの重要性を訴えました。
- アンガジュマンには多くの敵を作るリスクが伴いましたが、それでもサルトルは果敢に立ち向かい続けました。
- サルトルのアンガジュマンは、政治行動だけでなく、文学や思想においても一貫して追求されました。
サルトルが「レ・タン・モデルヌ」を創刊し、アンガジュマンを宣言したことで、作家は逃れることのできない時代の一部として責任を持つべきだと強調しました。彼は、言葉も沈黙も意味を持つ以上、積極的に時代と向き合い、立場を示すことの重要性を訴えています。この姿勢は、多くの作家や知識人に影響を与え続けました。
しかし、アンガジュマンには常に茨の道が伴います。サルトルは、政治的・社会的な立場を取ることで多くの敵を作り、時には孤立し、誤解に晒されました。それでも彼は、戦後フランスの政治状況や米ソ冷戦、アルジェリア戦争など様々な事件に対して、果敢に立ち向かい続けました。その姿勢は、真の知識人の姿として多くの支持を集めました。
最終的に、サルトルのアンガジュマンは政治的な行動だけでなく、文学や思想の中でも貫かれました。彼は常に「人間とは何か」を問い続け、自由の哲学を追求しました。この問いかけと行動は、現代においても多くの人々にとって重要な指針となっています。
時代の波に揺れ、責任の灯を掲げて進むサルトルよ、孤独の中で真実を探し、言葉の力で世界を変える、勇気のアンガジュマンの詩。
サルトルと現代への希望
- サルトルは、原子力の危険性と人類の責任を「大戦の終末」で強調し、現代の私たちに生命存続の決意を求めている。
- フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』は、市民の意識が豊かにならない原発の存在を批判し、意識と責任の重要性を訴えている。
- 若者たちの政治運動、特にSEALDsの活動は、怒りと絶望をポジティブに変換し、民主主義の再生と希望を示している。
サルトルが原爆投下後に書いた「大戦の終末」は、原子爆弾の監理者となった人類への警鐘です。彼は、今後は人類自身が生命の存続を決意しなければならないと述べ、原子力の危険性と人類の責任を強調しました。この言葉は、福島の原発事故を経験した私たちにとって、改めて重い意味を持ちます。
二つ目に引用されたフランツ・ファノンの『地に呪われたる者』は、市民の意識を豊かにしない橋は必要ないと説き、原発にも同様の視点が当てはまると指摘します。原発が私たちの意識を豊かにしたかという問いは、深く考えさせられるものです。原発が押し付けられたものとしてではなく、市民の意識と責任のもとに存在するべきだという考えは、現代の問題を鋭く捉えています。
若者たちの政治運動、特にSEALDsの活動は、「怒りと絶望」をポジティブに変換し、希望を見出す場を作り出しました。彼らは自分の言葉で語り、行動することで民主主義を再生しようとしています。この「民主主義的に生きること」は、サルトルが語った友愛の民主主義と共鳴し、形骸化した民主主義に対する希望の芽として私たちに新たな方向性を示しています。
未来への決意、原子の恐怖、 夜空に浮かぶ星々の下、 私たちの手にある責任、 希望と共に生きる選択、 人間の意志が光となる。 共に、命を守る道を進む。
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