著書 | 苫米地博士の「知の教室」: 本当の知性とは難しいことをわかりやすく説明することです! |
著者 | 苫米地 英人(著) |
カテゴリー | 人文・思想 > 哲学・思想 |
出版社 | サイゾー |
発売日 | 2017/9/10 |
Amazonカスタマーレビュー | (436) |
- 科学や時間に興味がある人におすすめです。理由は、四次元の概念を日常的な例を使ってわかりやすく解説しているためです。
- 瞑想や自己啓発に関心がある人におすすめです。理由は、瞑想の本質とその正しい方法を歴史的背景とともに理解できるためです。
- 社会問題や洗脳のメカニズムに興味がある人におすすめです。理由は、現代社会における洗脳の手法とそれを克服するための具体的な方法について詳しく学べるためです。
四次元世界を探る、時間の本質を理解する
- 四次元の概念は、時間軸を追加することでこの世の座標が完結するという点で重要です。
- 時間が「コマ切れ」であり、過去や未来の存在が物理的には一瞬のものであるという認識を得ることができます。
- 四次元人として生きるためには、自己利益だけでなく、社会全体に影響を与える行動が重要であると提言されています。
四次元の概念はとても魅力的です。このテーマに取り組んだ苫米地博士の解説は、日常生活で馴染みのある例を用いて、難解な科学理論をわかりやすく説明しています。時間という目に見えない軸を追加することで、この世の座標が完結するという説明は、「待ち合わせ」という具体的な例を通じて非常に納得のいくものでした。四次元は待ち合わせのために必要な軸であるという表現は、私たちの日常と科学理論を結びつけ、非常に理解しやすくしています。
また、苫米地博士は時間が「コマ切れ」であり、過去や未来の存在が物理的には一瞬のものであるという話を展開します。これにより、時間の連続性に対する私たちの認識が揺さぶられます。宇宙は一瞬で生まれ、一瞬で消えるという考え方は、映画のフィルムのように時間が連続しているように見えるが、実際には断片的であることを示しています。この視点から見ると、私たちの存在や時間の概念が新たな光を浴び、深い理解が得られることでしょう。
最後に、四次元人としての生き方についての提言が非常に興味深いです。苫米地博士は、縁起を残すために時間を使うことが重要であると述べています。自己の利益だけでなく、社会全体に影響を与える行動が真の四次元人の生き方であるというメッセージは、現代人にとって非常に示唆に富むものです。時間次元を意識し、社会的な役割を果たすために生きることが、より豊かで意義深い人生を送る鍵となるのです。
時間は瞬きの中に生まれ消える見えない軸が座標を紡ぎ待ち合わせの瞬間に出会う四次元の時空で僕らは未来への縁起を繋ぐ
瞑想の本質を探る、宗教と煩悩の間
- 瞑想は宗教と密接に結びついており、神や仏との一体感を求める行為です。
- 現代のリラックスや集中力向上のための瞑想は、ただの煩悩であり問題解決にはならないと指摘されています。
- 本質的な悟りとはすべてを手放し、社会に対して自分の機能を提供することが重要です。
苫米地博士の瞑想についての解説は、瞑想の歴史と目的を知ることで、その正しいやり方が自然にわかると説いています。瞑想は宗教と密接に結びついており、神や仏などの対象と同調することが本来の目的です。例えば、キリスト教では十字架、大乗仏教では大仏を瞑想の対象とするなど、各宗教に独自の方法があります。瞑想は宗教行為として行われるべきもので、神や仏との一体感を求めるものなのです。
しかし、現代では宗教とは関係なく、リラックスや集中力向上のために瞑想を行う人が多いです。この点について、苫米地博士はそのような瞑想はただの煩悩であり、マリファナを使ったリラックスと本質的に変わらないと指摘します。瞑想は問題解決の手段ではなく、悩みを一時的に忘れるだけのものであるため、その目的を見失わないようにすることが重要です。
最後に、瞑想の本質とは「諦めること」だと苫米地博士は述べます。悟りとは、すべてを手放すことであり、問題そのものを認識しないことです。釈迦の教えも縁起を理解することで、苦しみが苦しみでなくなるというものでした。社会に対して自分の機能を提供することが、本当に意味のある行動であり、瞑想に多くの時間を費やすよりも、実際の社会貢献が大切であると教えてくれます。
瞑想の中で神と一つに、心を澄ませる旅路にて。煩悩の霧を越えた先、すべてを手放す悟りの瞬間。社会に機能を捧げること、それこそが真の貢献。
洗脳の本質を知る、煩悩と社会の関係
- 洗脳は煩悩の肯定によって成立し、宗教や政治がこれを利用していると苫米地博士は説明します。
- 社会全体が洗脳されやすく、メディアもそれを助長するため、私たちは既に洗脳済みであることを自覚する必要があります。
- 洗脳から逃れるためには、情動のコントロールと批判的思考が重要であるとされています。
洗脳についての苫米地博士の解説は、私たちの日常に深く根付いた「煩悩の肯定」が洗脳の本質であることを明かしています。資本主義も共産主義も、その主義を押し付けることで人々の煩悩を肯定し、洗脳が成立します。宗教も同様に煩悩を大きくすることで信者を引き込む手法を使っています。煩悩の肯定が洗脳の基本原理であることを理解することが重要です。
さらに、現代の政治やメディアが煩悩を利用して人々を洗脳する手法についても解説されました。特に増税や原発推進といった政策に対して、多くの人々が自分の煩悩を満たすために賛成票を投じてしまう現象が説明されました。洗脳集団がマジョリティを形成し、メディアがそれを助長することで社会全体が洗脳されやすくなる仕組みが明らかにされました。私たちの社会は、洗脳済みであることを自覚することが第一歩です。
最後に、洗脳から逃れるための具体的な方法として「忘れること」と「クリティカルに物事を見ること」が挙げられました。情動に縛られず、批判的な視点で情報を受け取ることが重要です。洗脳を防ぐためには、情動のコントロールと批判的思考が必要であると教えられました。これらの方法を実践することで、洗脳から解放され、より自由な生き方ができるでしょう。
煩悩の影に揺れる心、洗脳の渦に囚われる社会。忘却の術と批判の眼差しで、自らの鎖を解き放つ。自由の風が吹き抜ける、その時を信じて。
洗脳の技術、催眠と古武術の力
- 苫米地博士は、洗脳技術を学ぶ過程で自然に身につけたと説明し、その基礎は人間の脳のカラクリを理解することにあると述べています。
- 洗脳のテクニックには恐怖を利用することが重要であり、古武術の技術も効果的に使われることがあると解説されています。
- 洗脳にかからないためには、興味を持たず、批判的に物事を考えることが必要であると強調されています。
今回のテーマは「洗脳のテクニック」。苫米地博士が洗脳技術を身につけたのは、人工知能や言語学、催眠療法などを学ぶ過程で自然に習得した結果でした。ミルトン・エリクソンの催眠技術を学び、その技を使って多くの挑戦者と対決してきたことが述べられています。洗脳技術の基礎は、人間の脳のカラクリを理解することにあります。
洗脳のテクニックとして最も重要なのは「恐怖」を利用すること。恐怖を作り出すことで、相手をコントロールしやすくなると博士は説明します。また、古武術を用いた催眠術も効果的で、身体的な接触や動作を通じて相手の意識を変える技術も存在します。洗脳は言葉だけでなく、身体的な接触や動作を利用することでも可能です。
洗脳にかからないためには、自分の興味や情動をコントロールすることが重要です。興味を持たなければ、催眠にかかることはありません。また、批判的に物事を見つめることも大切です。洗脳を防ぐためには、興味を持たず、批判的に考えることが必要です。
恐怖の影に囚われた心、洗脳の渦に踊る意識。脳のカラクリ解き明かす力、古武術の技が導く世界。興味を断ち、批判の眼差しで、自由への道を切り開く。
感情のコントロール、怒りと復讐の正しい使い方
- 感情は排泄物と同じく出すべきものであり、人前では感情を抑えるべきだと苫米地博士は述べています。
- 怒りを感じた後には、冷静に対処し、論理的な復讐を考えることで感情に振り回されずに行動できるようになります。
- 感情は自分で選び楽しむものであり、情動に振り回されないようにすることが重要です。
苫米地博士は、感情は人間の生理現象であり、排泄物と同じように出すべきものであると述べています。しかし、感情を爆発させるタイミングや場所を選ぶことが重要で、電車内での排泄を避けるのと同じように、人前では感情を抑えるべきだとしています。
さらに、怒りの感情を適切にコントロールする方法についても解説しています。怒りを抑えるのではなく、適切な場所と時間で発散し、その後に冷静に対処することが大切です。怒りを感じた後には、相手に対する復讐を論理的に考えることで、感情に振り回されずに行動できるようになると述べています。
最後に、情動を娯楽として楽しむことの重要性についても触れています。感情を自分で選び、楽しむことで、情動に振り回されることを防ぐことができます。感情をコントロールするとは、出したい時に出し、適切に楽しむことであると結論付けています。
感情の嵐を内に秘め、静かに過ごす日々の中、怒りも喜びも私の選び。心の闇に光を灯し、冷静に復讐の策を練る。情動の波を自ら乗り越え、優雅に生きる術を学ぶ。
縁起と因果の違いを学ぶ
- 自己責任とは「自分のゴールを達成するかどうかは自分次第」という意味で、他人に対して言うのではなく、自分自身に意識するべき。
- 縁起は物事が相互に影響し合い、同時に存在するという双方向的な考え方で、因果のように一方向の時間の流れに基づくものではない。
- 因果を便宜的に利用することで縁起を理解し、人生の悩みや問題を解決するための新しい視点を持つことができる。
自己責任という言葉が多くの場面で冷たい響きを持つことがありますが、苫米地博士はこれを「自分のゴールを達成するかどうかは自分次第」という意味で捉えています。他人に対して自己責任を言うのではなく、自分自身に対して意識することが大切で、子供にもその考えを早い段階から教えるべきだと話しています。
縁起と因果の違いについて、因果は西洋的な一方向の時間の流れに基づくものであるのに対し、縁起はもっと双方向的で全体的な視点から見たものです。縁起は物事が相互に影響し合い、同時に存在するという考え方で、個々の出来事を切り取って因果と捉えるのは部分的な視点に過ぎないと苫米地博士は説明しています。
最終的に、因果を便宜的に利用することで縁起を理解し、人生の悩みや問題を解決するための新しい視点を持つことができると博士は述べています。すべての本質は縁起にあり、それを理解することでより柔軟に生きることができるという考え方は、現代社会において新たな洞察を与えてくれます。
自己責任という名のもとに、縁起の糸が絡み合う。双方向に流れる時間の中で、因果は幻。すべては交わる縁の中、未来は自らの手で紡ぐもの。
スコトーマと引き寄せの法則
- 引き寄せの法則のカギはスコトーマ(盲点)の原理にある。幸福を感じる人は、目の前のチャンスを見逃さない観察力を持っている。
- 信頼できる情報を見極めるためには、たくさんの情報を収集し、自分で分析することが重要。偏った情報に頼らず、バランスの取れた情報収集が幸せへの第一歩。
- 「引き寄せ」とは自分が見えなくしているだけのものを見えるようにすること。知識を広げ、スコトーマを外すことで夢やチャンスが自然に手に入る。
引き寄せの法則のカギは、実はスコトーマ(盲点)の原理にあります。幸福を感じる人は、目の前にあるチャンスを見逃さない観察力を持っているんです。重要なのは、誰の言葉に耳を傾けるかを吟味すること。自分自身の言葉が他人の影響を受けていることを認識し、信頼できる情報を見極めることが必要です。
自分の知識量を増やすことも大切です。信頼できる情報源を探すのではなく、たくさんの情報を収集し、自分で分析することが重要です。偏った情報に頼るのではなく、バランスの取れた情報収集が幸せへの第一歩です。知識を広げることで、目の前にあるチャンスや幸せを見つけやすくなります。
引き寄せの法則は、現実的なものです。目の前にあるチャンスに気づくためには、情報を取捨選択し、心から欲しいものを明確にすることが必要です。「引き寄せ」とは、自分が見えなくしているだけのものを見えるようにすること。夢は目の前にあり、知識を広げ、スコトーマを外すことで自然に手に入るのです。
目の前の世界は盲点の海、見えぬ宝が隠されている。情報を吟味し、真実を見つめ、心の声に耳を澄ませば、引き寄せられる幸せの光。知識を広げ、スコトーマを越え、もともとそこにある夢を見つける。
バランスホイールを回せ
- こだわりを持つことはゴールを達成するために重要ですが、一つのことに固執しすぎるとバランスを崩すので、複数のゴールを持つことが大切です。
- 人生のゴールは最低でも八つ必要で、その全てにこだわりを持つことでバランスホイールが保たれると苫米地氏は指摘します。
- こだわりはすべての人にあり、その内容や評価が異なるだけで、各カテゴリーにおいて適切なこだわりを持つことが重要です。
こだわりを持つことは重要で、特にゴールをイメージするためには必要不可欠です。ただし、一つのことに固執しすぎるとバランスが崩れるため、複数のゴールを持つことが大切だと苫米地氏は指摘します。
人生のゴールは最低でも八つ必要で、その全てにこだわりを持つことでバランスを取るべきだと苫米地氏は語ります。一つのことに偏りすぎるとモンスターペアレンツのように問題を引き起こす可能性があるのです。
こだわりはすべての人にあり、その内容や評価が異なるだけです。食事や趣味、仕事など、各カテゴリーにおいてゴールを設定し、その全てに対して適切なこだわりを持つことが重要です。
こだわりは星のように輝く夢の軌跡、八つの光が人生を照らし出す。偏らず、満遍なく並ぶその姿、バランスホイールが回り続けるために。
並列化の意外な真実
- 並列化は高い抽象度でタイムシェアリングを行うことで実現されている。
- 並列化を効果的に行うには、特定の抽象度のタスクに慣れることが重要。
- 抽象度を上げることで、情報の取捨選択がスムーズになり、効率的な並列化が可能になる。
並列化について、驚くべき発見は「実は人間もコンピューターも本当の並列作業はしていない」ということです。高い抽象度でタイムシェアリングを行い、効率的に作業をこなしているのです。これにより、一見同時に行われているように見える作業も、実際には順序立てて処理されています。
並列化を効果的に行うには、「慣れ」が重要です。特定の抽象度のタスクに慣れることで、自然と並列化が可能になります。これには、様々なゴールを設定し、それぞれの抽象度に慣れていくプロセスが含まれます。たとえば、子育てやビジネスの場面で、日常的に並列化が行われています。
抽象度を上げることで、並列化がよりスムーズに行われるようになります。多くの情報を取り込み、取捨選択を行うことで、抽象度の高い視点から効率的に作業を進めることが可能です。これにより、様々なタスクを同時に管理し、バランスの取れたアプローチが実現できます。
一つの光が無限の影を照らし、並列の夢が交差する。抽象の海でタイムシェアリングの波に揺られ、慣れ親しむ日々の中、未来が見える。
数学的思考と論理的思考の違い
- 数学的思考は論理的思考とは異なり、ひらめきや創造力が求められる。
- 既存のルールに従う論理的思考は、社会の決め事に過ぎない。
- 理想的な世界を目指すには、新しいルールを作り出す数学的思考が重要。
数学的思考は論理的思考とは異なり、ひらめきや創造力が求められる芸術的なプロセスです。一方、一般的に言われる論理的思考は、既存のルールに従って問題を解決する方法であり、実際には論理というよりは社会のルールを守ることに過ぎません。
数学的思考は新しいルールを作り出す力があり、これは物理宇宙や法律宇宙といった異なるルールが存在する社会で特に重要です。既存のルールを超えて新しい価値を創造することで、より理想的な社会を目指すことができます。
私たちが社会で成功するためには、ルールをうまく利用するレトリックと、新しいルールを作り出す創造力の両方が必要です。苫米地博士の言葉から学ぶことは、数学的思考を用いて、常に理想的な世界を追求し、そのための新しいプリンシプルを見つけ出すことが重要であるということです。
数学の光、ひらめきの瞬間。論理の鎖を解き放ち、新たな宇宙を描く。既存のルールに囚われず、創造の翼を広げて。真理を探り、新しい世界を見つける、その力が数学的思考。
情報はすべての五感の結集
- 五感の情報が集まって初めて「おいしい」と感じる。
- 情報そのものに善悪はなく、受け取り方が重要。
- 人間は情報の結果であり、情報を幸せに利用すべき。
記憶や味覚、嗅覚などの五感が集まって初めて「おいしい」と感じるという苫米地さんの話は、情報がいかに複雑で多面的であるかを示しています。味覚だけでなく視覚や聴覚も影響するため、五感全てを調和させることが重要です。
苫米地さんは、情報そのものに善悪はなく、それをどう受け取るかが大切だと言います。自分の重要度によって情報がフィルタリングされ、過去の記憶や経験も変わり得るため、情報は受け手次第で幸せにも不幸せにもなります。
遺伝子や物理法則という情報が集まって人間が存在するため、私たちは情報の偏りを持つことが自然であると苫米地さんは述べています。この偏りを理解し、幸せになるために情報を利用することが重要です。
味覚の秘密を解き明かす、五感の調べが奏でる妙。視覚も、嗅覚も、聴覚も、全てが織りなす一つの旋律。記憶の中で甘く広がるその瞬間、情報の海で見つけた幸せが、心を満たす宝石となる。
幸せとは何か
- 幸せとは、不確定要因に依存する一時的な感情であり、不幸の反対として認識される。
- 日本の憲法は労働を義務付けているため、真の自由が得られにくく、それが幸せ追求の障害となっている。
- 幸せは単なる言葉であり、目的にするものではなく、日常の小さな幸せや未来への希望が重要である。
幸せの本質は不確定要因によるもので、不幸の反対として捉えられることが多い。 交通事故や自然災害など、予測不可能な出来事が不幸とされる一方で、偶然により幸運を得ることが幸せと感じられる。つまり、幸せとは予測できない要素が関与する一時的な感情であり、そのために多くの人が幸せを実感するのは稀なことである。
自由が幸せの鍵だが、日本の憲法では勤労の義務が課せられているため、本当の意味での自由がない。 労働からの解放が幸せの一要素とされるが、日本では法律上、労働が義務付けられているため、真の自由は得られにくい。この矛盾が、現代社会において幸せを追求する上での一つの障害となっている。
幸せとは単なる言葉であり、目的にするものではない。 幸せを求めるのではなく、日常の中で小さな幸せを感じることが重要である。成長の予感や未来への希望が心の平安をもたらし、これが本当の幸せに繋がる。現状維持ではなく、少しでも良くなる未来を期待することが、幸せを感じるための鍵である。
幸せは風のように、見えず触れず、心の中でそっと揺れる。自由を求めて旅する魂、希望の光を追いかけて。日々の小さな喜びが積み重なり、未来への希望が輝くとき、それが真の幸せとなる。
「事なかれ主義とリスクの関係」
- 事なかれ主義は外務省などの公的機関では適切だが、資本主義社会では「事あり」が求められる。
- 人間はリスクを避けたい本能があり、「事なかれ主義」を選びがちだが、合理的な判断を欠く。
- 「事なかれ主義」を克服するには、情動ではなくゴールに基づいた判断が必要であり、これにより合理的な決断が可能になる。
事なかれ主義は日本の外務省を典型とする「減点主義」の現れで、なにも問題が起きないことが出世の秘訣とされています。外務省のような公的機関では、このアプローチが適切ですが、資本主義社会では「事あり」が求められます。営業や研究開発など、革新が必要な部門では特に重要です。
苫米地博士は、「事なかれ主義」が人間の情動的な判断によるものであると説明します。リスクを避けたいという本能的な恐怖が原因で、多くの人が合理的な判断をせずに「事なかれ」を選びがちです。例えば、少しの損失を避けるために大きな利益を逃すことがあります。
この「事なかれ主義」を克服するには、情動ではなくゴールに基づいた判断が必要です。ゴール設定を明確にすることで、リスクに対する恐怖を乗り越え、合理的な決断ができるようになります。このアプローチは、経済学的にも心理学的にも支持されています。
リスクを恐れて足を止める、人の心の迷いが揺れる。事なかれの波に流されて、静かな日々に溺れる。でも、情動に揺さぶられず、ゴールに向かい歩み出す。変化を恐れず未来を描く、その先に輝く希望がある。
道を極めることとビジネスのトレランス
- 道を極めることは、趣味や芸術の世界で狭い分野に特化して技術を極めることを指し、自己満足のために行うべきだ。
- ビジネスの世界では、トレランス(許容範囲)を守りながら効率的に製品を作ることが求められ、高精度を追求することはリソースの無駄遣いになる。
- 達人とは、自己のトレランスを設定し、それを守りつつ精度を高められる人のことであり、ビジネスと趣味のバランスが重要である。
苫米地博士が語る「道を極める」とは、狭い分野で技術を極めることです。趣味や芸術の世界で達人と呼ばれるためには、分野が極めて限定されることが必要だと述べています。これは、外科手術で言えば脳外科手術、さらに前頭前野手術の達人のように、非常に専門的な領域に特化することを指しています。
一方、ビジネスの世界では「トレランス(許容範囲)」が重要です。ビジネスにおいては、リソースを効率的に使うためにトレランスを守ることが求められると博士は強調します。日本人の職人気質では、トレランスを無視して高精度な製品を作りがちですが、これはビジネス的にはリソースの無駄遣いになるとのことです。
最終的に、道を極めることは趣味の世界であり、自己満足のために行うべきだと博士は結論付けています。ビジネスの場では、トレランスを守りながら効率的に製品を作ることが重要であり、道を極めることは趣味や芸術の範囲で楽しむべきだという考え方です。
極める道は狭く深く 技術の頂きに立つ達人の如く 精度の高み追い求め 心の満足に響く響き 手の中にある趣味の世界 経営の中に生きる術 トレランス守りし中で 己の精度を高めん
反論と言い訳の違い
- 反論は相手の主張に異なる考え方やデータを提示することで、対戦相手が必要であるが、言い訳は対戦相手が存在せず、自分の失敗を正当化する行為である。
- 言い訳とファクトの伝達を区別することが重要で、ファクトを正確に伝えることは正当な行為であり、ビジネス上適切である。
- 将来的には、日本もグローバルなルールに直面する可能性があり、その際には反論や謝罪のあり方を考える必要がある。
反論とは、ディベートの世界では、相手の主張に対して異なる考え方やデータを提示することを指します。反論には対戦相手が必要であり、相手の論の足りない部分を突いていくプロセスです。一方で、言い訳は対戦相手が存在せず、自分の失敗を正当化する行為であるため、論戦の場では敗北宣言と同義になります。
言い訳とファクトの伝達は区別が必要です。言い訳は自身のクレームが間違っていることを認めてしまうが、ファクトを正確に伝えることは正当な行為です。例えば、遅刻の理由を説明する際に、「道が混んでいた」と言うのではなく、「15分遅れます」と事実を伝える方がビジネス上では適切です。ファクトを伝えることと、言い訳することの違いを理解することが重要です。
将来的には、日本もグローバルなルールに直面する可能性があります。その場合、言い訳や謝罪が許されない世界が到来するかもしれません。しかし、日本の「なあなあの世界」が持つ豊かな文化を守るためには、反論や謝罪のあり方について考える必要があります。自分に非がないときに反論をし、組織のルールに従うことが求められます。
反論とは異なる視点を示し、言い訳は自らの過ちを正当化するだけ。言葉の戦い、主張のぶつかり合い、真実の探求。言い訳は敗北の宣言、反論は新たな道を切り開く鍵。言葉の力で未来を変える、真実を求めるその声。
正義と権力の勘違い
- 正義は存在せず、権力が存在する 正義という概念は幻想であり、実際には権力が行使されている。
- 正義は公平や公正と異なる 日本語の「正義」は他の言語にはない特有の概念であり、具体的な行動や判断には結びつかない。
- 正義を求めることが問題 正義の追求は自己満足に過ぎず、自分のやりたいように生きることが重要である。
正義とは何かと問われたとき、苫米地博士は、正義という概念は存在せず、実際には権力が存在すると指摘します。モンスターペアレンツの力は正義ではなく、宗教やキ◯◯イパワーなどの権力によるものです。
日本語の「正義」は他の言語には存在しない特有の概念です。苫米地博士は、アメリカの「ジャスティス」は公平や公正を意味し、正義とは異なると説明します。実際の社会では、正義は多様で抽象的なものであり、具体的な行動や判断に結びつかないことが多いのです。
正義が存在しない中での生き方について、苫米地博士は、正義を求めること自体が問題であり、自分のやりたいように生きることが重要だと述べます。正義の追求はあくまで趣味や自己満足に過ぎず、日常生活には関係がないことを理解することが大切です。
紅く染まる空夕焼けの美しさは心を奪い去る暮れ行く日の刹那夢見心地
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